どうもだっきーです。
このページを見てくれてありがとう!
勉強というと抵抗のある人も多いかと思いますが、学びというと比較的抵抗なく聞こえます。感じ取り方が違うだけで、同じ熱量ならば、「学び」を使えばいいですが...(笑)
しかし、勉強は少なくとも大人になるまでに教育機関で行われてきたのですが、大人になってからも勉強は続けられるものです。だけども、社会人である大人は勉強する時間を確保することが難しいのですけどね。
では、学生と大人は異なる学びをするのかということを考えていかなければいけないと思います。もし、異なるなら学生までに学んだことの意味とは...と思ってしまいますからね。
学びとは何だろうか
学びは生涯、生きていく中で必要な要素の一つです。産まれて3歳ごろに言葉をたくさん話せるようになり、7歳までには平仮名を理解するといった学びを経験します。私はこの年齢が人生のなかで一番学びをしている瞬間なのではないかと思います。
1000日前後で言葉の基礎を理解できるのですから。このようなことを理解することは大学生の講義を受けてからなので、学びは無意識のうちに受けているといってもいいかと思います。
単純に学校教育の教育のように勉強することも「学び」ですが、一般的に授業をうけることが学びだという認識があるようです。ある意味、「理解」というのも学びであり、「表現すること」も学びなのです。
学生までに学ぶべきこと
学生は基本的に大学生を指しますが、初等教育から高等教育までは生徒と言います。今回は大学生までに学ぶ必要があることは何かということを考えていきたいと思います。
学生までに学ぶことは「専門性」と「教養」です。
専門性は、大学生でいう専攻ですが、それまでの教育でも自分だけの得意なことも専門性と言えますね。例えば、動物の本を読むのが好きでその一部において誰にも負けないというものいうものがあれば、それは「専門性」だと思います。
教養は、教育の基盤であれば基本5科目(国数英理社)であるし、モラルや規則性というものも含まれます。
大人の学びとはどのようなものか
学生が終わり、さて、大人になった。だけども、勉強はできるのだろうか。
社会という慣習を学ぶ、ということも一つの学びだと私は考えています。
学生までの教養で広い知識を集め、大人になると生活に必要な知識を要することになるでしょう。職に就いているならその職業にあった能力も学びの一環だと私は思います。
学ぶ時間を減らした結果...
学生までとそれ以降の学びは、それなりに違い、いささか疑問を持つものも多いです。大人に必要な学習を学生までにしておけばいいのでは...という考えを持つ人もいるかもしれませんが、私はお勧めしません。
理由は、教養や専門性を学ぶという基本的な理解が学生までに身に着けておかないと大人になってから時間が無くなるので、0からの知識や方法論で学習していかなければいけないからです。
教養や専門性はできれば長い時間(生涯)行うべきではあるかと思いますが、時間が限られている中、大人になってからできるものではありません。学習するということは時間とお金も並行して消費していくからです。
なので、学生までに教養や専門性を専門性を突き詰めて、次の大人になるという段階に進まなければいけないのです。日本が生涯学習することを可能になるのは現実的に難しい話なのです...。
まとめ
大人になる...かといってドラクエやポケモンのようにステータスの上昇がされるわけでもなく、継続して大人へと引き継がれるのです。どの段階で大人に必要である学びを獲得するかは、個人の環境によって変化し、学生のように教養と専門性を突き詰めたまま老人へとなる人もいるでしょう。逆もあると思いますが。
学ぶという行為は、戦国時代において享楽の一種だといわれるものだったらしいです。歴史的背景から考えると、当時は鍛錬をしていた方が戦場で役立ちますもの。現代社会でも、時間とお金がかかるのが学びであり、戦国時代と大差がないかもしれません。戦うことの代わりにビジネススキルを獲得することを優先する世の中になってしまいましたから。
戦国時代と現代社会を比較するのも割と面白そうですね。同一視しているのであれば問題があるのでしょうが...(笑)
そんなことをつらつらと書きながら幕を閉じさせてもらいますね。
次回もお楽しみに~